僕が子どもたちに伝えている勉強する理由

これから受験勉強を始めようかとしている人、スランプに陥ってしまった受験生、はたまた、ふとそのように思うときもあるでしょう。「なぜ勉強するのか?」この問いに対しては、それぞれ回答があるでしょうし、これから人生を生きる過程で、勉強していく過程で変わるときもあるでしょう。正解が1つでないこの問いに対して、考え、その時点での自分なりの納得解を持っていくことは必要なのかもしれません。

今回は、「勉強はなぜするのか?」の問いに、僕たちは、100通りの解答を考えています。その中の1つの見方を提示してみますね。

勉強は、素晴らしい道具の1つ

muchu
回答「それは、勉強すればするほど、感動の多い人生になるからです。」

勉強をたくさんすると、感動の多い人生になります。つまり、勉強している人は、同時に感性が磨かれていきます。知識は、世界を広げるって一つの事実があります。知らないと見過ごしてしまう面白いことも知っていると感動できたりすることも少なくありません。

知らないと感動の総量は減る

みなさんの中にも経験があると思いますが、自分が勉強していないことには感動できません。中学生の時に、音楽の時間に見せられたオーケストラの演奏やオペラのビデオ鑑賞。男の子の多くは、「つまんねー」なんて言いながら寝ていたりもした人もいましたけど、あれってオーケストラの演奏やオペラがつまらないじゃなくて、男の子に見る目がなかったんだと思います。知識のある人が見たらそれこそ音楽の先生は「この音の出し方や手の使い方、作曲者の哲学がすごい」って感動できると思います。

たとえば、サッカーで誰にいないところにパスを出す。サッカーを勉強していない人は、なんで?そんなところにと思います。でもサッカーを勉強している人は、その意味をくみ取ることができます。サッカーを勉強している人は、戦術には数学の理論や心理学も取り入れられているだとか、サッカーの歴史を知ることで、同時に政治や経済のことも知ることができると感動できます。

たとえば、すばらしい一枚の絵が目の前にあります。勉強している人は、沈黙します。その1枚の絵からたくさんのものをくみ取っているからです。沈黙の間に、描かれている風景や人々、その画家の思いそして、時代背景など、数々の意味をくみ取っているのです。感動をしているのです。

他人の面白いに興味を持ってみる

知らないと見えない景色っていうのが世界にはたくさんあります。誰かが「面白い」っていうのに、自分は「面白くない」ってことがたくさんあることだと思います。あれは、知らないだけで、見えてないだけかもしれません。
 
誰かが「すごいっ」っていうのに、自分は「どこがすごいの?」ってこともあると思います。あれは、経験の差が出ているのかもしれません。あるいは知識の差かもしれません。
 
知識がなかったために誰かを傷つけるときも。守れないときもあるかもしれません。いろんな勉強をして今ある世界を広くしていくことが大切です。

だから勉強を続ける

勉強は、子どもだけの権利ではありません。先に生きる大人も、勉強していいのです。勉強はしたい人ができる特権です。身近にいる僕たち大人が、子どもに勉強をしなさいというのではなくで、楽しそうに勉強をしている姿をみせる。または、学んだことを楽しそうに語る。実は、子どもが勉強好きになっていく方法の一つでもあります。自分自身が嫌いな勉強を、子どもに押しつけるのは、考えてみると精神的な虐待です。僕は、やっぱり、これからも自分自身も勉強をし続けて、心の底から勉強ってすばらしいものなんだよって子どもに伝えていきたいです。
 
日々の生活の中での勉強で、世界は広げることができます。一緒に広い世界を見るために、勉強しよう。本を読もう。そして、精一杯に部活動や習い事をしようと子どもたちに伝えていきたいです。

学ぶと、見える「楽しい」ときの数が増えます。学び得るところもきっと増えます。だから、ますます「楽しい」ときが増えていく。そして、意味・意図をたくさんくみ取れるようになれるから、たくさん感動できます。

たくさん感動できる人になりたい。きっと人生が豊かになれる。そう思っています。

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