分かりやすい授業にある罠

成績を上げるのと学力がつくことが、同じ意味をなさないことがあります。成績を上げることは、とても優しく、学力をつけることは、やはり時間がかかる。極論ですが、高校入試ぐらいであれば、学力をつけなくても、成績を上げることで合格は果たせるわけです。

学力もつけて合格した人と成績だけを上げて合格した子では、高校に入って、その差は歴然となります。特に、中学時代、塾に通って合格を果たして、高校でついていけなくなる子は、中学時代に学力をつけてもらえなかったことも最大の要因の1つです。これは、もちろん、塾だけの責任ではありません。親のニーズがあくまで、成績を上げてもらうことで、高校合格にあるわけですから、そのニーズは満たしたことになるでしょう。

本当の学力がつくときは、いつも指数関数的

成績を上げることは、簡単ですね。高校という目的地までに至る道をキレイに整備して、そこを歩かせればいいからです。キレイに整備することとはどういうことか。それは、子どもが考えないでも点数がとれるようにすることですね。パターン化したり、近道(テクニック)を教えてあげたり、地図(傾向分析)を渡して、迷わずラクして道を歩けるようにしてあげるわけです。先生は先生で、子どもや親から、先生に習うと、わかりやすいし、点数が上がると評価、感謝されるので、ベテランの先生ほど、この快感から逃れなれません。また、毎年、同じことをしていればいいので、先生自身の成長も止まってしまいます。

学力をつけること

一方で、学力をつけるということは、教える側に、あえてという発想が必要になります。あえて、いばらの道を用意することになります。高校という目的地までの道を、そのまま歩かせるわけです。途中、沼があるかもしれない、途中、ヤブの中を通るかもしれない。あえて、それを知っても、取り払ってキレイにはしないのです。子どもが、自分で考え、試行錯誤をして、前に進んでいる姿を見守る。どうしてもいうときに、子どもに気づかれず、道を少しキレイにし、子どもが自ら一歩前に進めたと自身を持たせる。成績を上げるだけをすることより、時間はかかりますが、自ら沼やヤブを抜けてきた子どもたちは、その先、一気に駆け上がっていきます。つまり、ブレイクスルーポイントです。

いばらの道にあるブレイクスルー

このブレイクスルーポイントは、いばらの道にしかないポイントです。僕は、不謹慎かもしれませんが、子どもたちの合格した瞬間の喜びよりも、この子どもたちがブレイクスルーする瞬間を目の当たりにすること方が喜びです。たとえ、高校合格には間に合わないかもしれないけれど、きっと、その先の大学入試では、その目的の大学には合格果たせるだろうし、何より勉強を続けていける人になれるからです。ブレイクスルーというのは、点と点がつながり線となる瞬間。つまり、1つのわかったと1つのわかったなど、わかるどうしがつながって、黒ばかりのオセロの盤に、点在していた白が、1つの白、1つの白が増えて、繋がったら縦が一直線つながり、あっ斜めもヒックリ返せるじゃんって気づいたら、白で覆いつくされたというイメージでしょうか。

大事なのは子どもの学力を養うこと

成績だけを上げる指導というのは、子どもを自分の道具としてかみれてないような気がします。つまり、親の立場にたてば、世間体でしょうか。やはり、子どもの成績委が良ければ、いいお母さんとみられるのでしょう。講師立場にたてば、生徒の成績や実績は、自分の給与や評価につながるからでしょうか。多くの人が、子どもを横において、成績を上げることにフォーカスしすぎているような気がします。学力つけることに、フォーカスしてほしいと思います。時に、待つ勇気、時に、見守るやさしさ、時に、気づかれず助ける気づかいなど多くのことが、こちらにも要求されます。

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